京都料理芽生会とは
令和5年度 会長所信 心根を育てる
「京料理」が日本の登録無形文化財として登録されました。日本にとって歴史上また芸術上価値の高いものとして認められたということは大変喜ばしく、様々な歴史的背景から育まれた料理、しつらえ、もてなしは、その「わざ」を体得した人々が受け継いできたからこそ現代において体現される素晴らしい文化です。
そして、京料理という文化を絶やすことなく揺るぎないものとして、今後も継承していくことは、この京都料理芽生会にとっての責務です。ここに三つの指針を掲げます。
料理には必ずルーツがあります。食材、技術、構成、また器やしつらえなど全てにおいて、それに至る歴史的背景がありました。そうしたルーツをたどり見直すことで、人々の営みや考え方を学び、自分自身の根っこを強化し、ブレない軸を持つことが重要です。
京都は長く都として栄えてきたことで、たくさんの交流がありました。そうした交流によって培われたものが文化として根付いています。地元(Local)の文化を身にまとい、それを客観的な(Global)視点で捉え、考え、次代に向けて深化させていく。異なる世代やジャンルにおいて交流を重ねることで、新たな文化を生み出していく。
メタバースやWeb3といった新たな世界観が広がりを見せる現代において、力強いアナログをデジタルに変換できる力を身に着ける。様々な困難があっても、その影響を受けることなく揺るぎない経営と人材育成に力を注ぎ、その術を学ぶ。料理の進化だけでなく、それを支えるマネージメントを強化することで京料理のバージョンアップを図る。
自然を崇拝し、豊かな食の国である日本は、常に五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を願って生きてきました。伝統と革新、温故知新、不易流行、守破離といった言葉があるように、時代とともに人々の思いや考えは変化し続け、その都度新たな文化を構築してきました。そうした営みは、日本人としての心根に沿った生き方であると考えています。様々な分野において世界的な転換期である昨今、日本人としての心根を太く強いものに育て、50年、100年、その先へと京料理を継承するために不断の努力を重ねる所存です。
京都料理芽生会
会長 髙橋義弘
思い:歴史を糧に未来に向かう 「いまではなく、未来に何を残すか」
先人から営々と受け継がれてきた京の食文化を次世代へも共有財産として繋げると同時に、京料理、ひいては和食文化の発展に寄与するため、国内のみならず世界に向けて和食の素晴らしさをこれからも発信してまいります。
京都料理芽生会 歴代会長
発起人代表 | 辻重光(中村楼) | |
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初代 | 北村多造(いもぼう平野家本家) | (昭和30年7月~昭和55年6月) |
第2代 | 髙橋昌美(祇園 新三浦) | (昭和55年7月~昭和57年6月) |
第3代 | 古川隆三(渡月亭) | (昭和57年7月~昭和59年6月) |
第4代 | 小西重義(萬亀楼) | (昭和59年7月~昭和61年6月) |
第5代 | 髙橋英一(瓢亭) | (平成61年7月~平成2年6月) |
第6代 | 園部平八(山ばな平八茶屋) | (平成2年7月~平成4年6月) |
第7代 | 北村眞純(いもぼう平野家本家) | (平成4年7月~平成6年6月) |
第8代 | 佐竹力総(美濃吉) | (平成6年7月~平成8年12月) |
第9代 | 廣谷和仁(貴船 ひろや) | (平成9年1月~平成10年12月) |
第10代 | 中路剛(嵐山温泉 嵐峡館) | (平成11年1月~平成12年12月) |
第11代 | 村田吉弘(菊乃井) | (平成13年1月~平成14年12月) |
第12代 | 栗栖熊三郎(たん熊本家) | (平成15年1月~平成16年12月) |
第13代 | 栗栖正博(たん熊北店) | (平成17年1月~平成18年12月) |
第14代 | 荒木 稔雄 (魚三楼) | (平成19年1月~平成20年12月) |
第15代 | 藤谷宏徳(ふじや) | (平成21年1月~平成22年12月) |
第16代 | 三好徹(ぎをん梅の井) | (平成23年1月~平成24年12月) |
第17代 | 中東久人(美山荘) | (平成25年1月~平成26年12月) |
第18代 | 髙橋拓児(木乃婦) | (平成27年1月~平成28年12月) |
第19代 | 田村 圭吾 (萬重) | (平成29年1月~平成30年12月) |
第20代 | 園部 晋吾 (山ばな平八茶屋) | (平成31年1月~令和2年12月) |
第21代 | 磯橋 輝彦 (嵐山辨慶) | (令和3年1月~令和4年12月) |
第22代 | 髙橋義弘 (瓢亭) | (令和5年1月~) |